めっちゃ緊張していこうぜ!
////////////////////////////////// //////////////////////////////////

緊張するって良いこと

緊張すんな=ムリ

「んじゃ、せっかくだからすげー緊張しようぜ!」

緊張するって必要なことなんだと思います。

いつか自分の子供や講習会のメンバーにそう言って後押ししてやりたいものです。親御さんはびっくりするかもだけど。

という記事を読んだのでご紹介です。

コラム「日本人がやりがちなスポーツメンタルの5大NG。「緊張しない!」はかえって不安になる」

大舞台って多かれ少なかれ誰だって緊張するわけです。「緊張すんな」といったところで多かれ少なかれ緊張するわけです。

多かれ少なかれ緊張するなら、「せっかくだから目一杯緊張すっか」とか開き直ったほうが良かったりするわけです。当事者もそうだし。周りの人もアゲアゲな空気を醸成したほうがパフォーマンスも上がるような。まあ合わない人もいるでしょうけれど。

緊張とかプレッシャーと付き合う方法って、誰でもいつかは自分なりの方法を身につけると思うのだけれど、その時期には個人差がありますよね。自分は遅いほうで35歳過ぎてくらいだったような。そこがルーキーからベテランにマインドが切り替わった頃合いだったのでしょうか。

遅いなぁと思われるでしょうが、私より年上でもそういう心持ちに至ってない方もいるのではないでしょうか。そのベテラン目線で読むと腑に落ちる記事でした。

こっち見なくてもいいよ

NG-3の「監督やコーチを~」とか読むと思い出すのは、たまに登っていても何かに付けて親御さんとか私とかを振り返るキッズ、たまに見かけますね。

きっと日頃の生活で集中しているときも外野がうるさくてそういう癖がついちゃったのかなぁと。そういや、うちの娘も登っている最中に私を見ますね。”私出来たよ見て見て”のドヤ顔で。

「わかったからこっち見んな」と思いつつ、ちょっと健全かなと。親ばかですが、できたところ見てほしい。褒めてほしいって思いますもん。

本当は大人もそうなんなんだと思います。お互いそれが照れくさいから、例えば拍手という手段で褒める、褒められる行為を偽装しているわけです。

悲願ってなんだ?

NG-4やNG-5とか、「絶対に~」とか「悲願の~」とかよく聞くキャッチコピーですね。もういいんじゃないですかと思う反面、「悲願の~」は日本人の”防衛的悲観主義”者多数の状況では日本人が絶滅しない限りなくならないなと思いました。

めっちゃ😊で喜んでいる姿とアナウンサーの「悲願の○○~っ!」とかギャップあり過ぎでこっちが気持ち悪くなるんですが、活字で理解したので何とか悲願と付き合っていけそうです。

多分ボルダリングだった

そういや思い出しました。”ベテラン”になったきっかけはボルダリングだったと思います。

自分の中に大好きなボルダリングという軸ができて価値観が全て切り替わった。それ以外は全て些細なことになった。

「緊張するけれど、結局些細なことじゃん?」ってオチでおわりです。

そんなオチで生きてきた自分って、人としてポンコツなのでは。。まあそんなんでも生きてこれたのでいいかな。